北京蝶々の第12回公演です。
5月23日(土)14:30、下北沢OFF・OFFシアター(90席)で観ました。
大きな舞台で大人数のタカラヅカの舞台との比較は無意味ですが、東京では小劇場活動が盛んで、いろいろ観ています。
北京蝶々は早稲田大学の学生劇団として2003年に旗揚げし、大隈講堂裏のアトリエを中心に公演してきました。
私が最初に観たのは2005年の第4回公演「心ないラクガキ」からです。
全公演ではありませんが、これまで半分ほど観ています。
前回公演から、大学を卒業しアトリエからも離れて、独り立ちした劇団として活動しています。
メンバーにはまだ学生もいるようです。
「愛のルーシー」は、「少子化と晩婚の時代に北京蝶々がお送りする、バイオロジック・ラブストーリー」だそうです。しかし、「甘い」ラブストーリではなく、「苦い」ラブストリーでした。
人類が地球以外の天体で生きるために、巨大なシェルターのなかで地球と同じような環境を創り、自給自足で生活するという実験をテーマにしています。
実験に参加するのは男女8人、外から実験を観察する研究員2人が登場します。
男女8人は実験を目的に積極的に参加したわけではなく、実社会でそれぞれに疎外され、やむなく逃げてきた場所という設定になっています。
十分な食料が得られず8人はいつも空腹に苦しめられています。
また、外界から閉ざされているうえ、あまりに濃密な人間関係のなかで「心」の空腹にも悩んでいます。
この閉じた空間にいる8人の人間関係の変化を中心に場面が展開していきます。
修羅場もあり、8人の「心」が破裂する直前に研究員が中に入ってきて、平穏を取り戻します。
そして10人となって実験が続けられます。
このような「繰り返し」が暗示されているのでしょうか。
「繰り返し」は、かつての不条理劇でよく使われた手法です。
誰が主役という展開ではないため、徹底したスターシステムのタカラヅカの舞台に慣れていると、メリハリが少なく単調な感じがします。
これはこれでいいのだと思いますが。
体全体で空腹を演技しているイナカ(帯金ゆかり)となぜか空腹にも涼しい顔?をしているハイカン(鈴木麻美)の二人の対比が面白いです。
男女8人がここにやってきた事情が字幕とナレーションで説明されます。
セリフの中に入れると説明調になってしまうのでそれを防ぐためでしょうか。
この説明がないと舞台が理解できないというものでもないように思いますが。
しかし、この小さな舞台で映像を採用したのは意欲的な試みだと感心しています。
今後の舞台づくりにも生かしてほしいと思います。
タカラヅカでも最近は奥秀太郎を起用して映像を活用した舞台が多くなっています。
学生劇団から卒業したからでしょうか、外部から客演を迎え、舞台に幅が出ています。
また、アトリエでは見なかった「男と女」の関係が描かれるなど、演出も変化(進化)しています。
「ルーシー」は、進化の過程でヒトとチンパンジーが分かれる前のアファール猿人の化石人骨につけられた名前です。 |